2012年3月29日木曜日

転んでもタダでは起きない

秋葉原という場所は商売になるのでしょう
 アキバには転んでもタダでは起きない経営者が現れる街の顔もあります。2008年6月6日に他界された“本多のおやじ”こと本多弘男さんは、かつて東京ラジオデパート地下で「本多通商」を営んでいました。まだマイコンが登場する前で、アキバは音響と無線のマニアに支えられていたホビー街でした。すでに電気街としてのアキバは知られていましたが、現在の秋葉原ラジオセンターに集う方々と同じような趣味を持つ方々は、パソコンを自作するよりも高度な手作業に熱心だったのです。そこに登場したのがマイコンです。マニアたちは、即、飛びつきました。同じ時期、ゲジゲジを取り扱うショップも急増しました。

自己責任購入キーボードもこの値段です
 ワンボードマイコンなどの登場は本多通商にも影響を与えます。おそらく、おやじ自身も何に使うか不明なモノを、界隈の商社から仕入れては、堂々と陳列していました。マニアたちは英語専門誌で得た知識を持ち、その不明なモノを購入するのでした。「そんな、無責任な」と考えてはいけません。陳列するのはショップの自由ですし、購入の判断は自己責任が基本なのですから。後に「ぷらっとホーム」を上場させた本多通商の原点です。ツクモ、亜土電子、千石通商などは、「分かるヒトだけ買ってくれれば良い」で商売していた面があったと指摘しておきます。同時期、電気街に紙爆弾を落とすショップが誕生しました。ソレが寺田由雄さんが行徳で立ち上げた「ステップ」です。

雑貨だって取り扱っています
 1980年に法人化したステップは、倉庫のような店舗に在庫を積み、小型商品は客がレジで会計、大型商品は型番を店員に伝えて販売という、現在ではお馴染みのスタイルを確立した功績があります。コストカットを徹底し、その実売価格を雑誌広告で煽ります。アキバに進出したステップは、驚くべき実売価格を記載したチラシを駅前で撒きました。コレに怒ったのが秋葉原電気街振興会の幹部たちです。電気街と取引する販売会社に抗議する一方、某店の幹部は、共存共栄のための話し合いに同店を訪れます。返答は「日本は自由主義経済だ、帰れ!」とバット送迎のおまけがあったとか。

以前、つぶやいたロック製菓と同じビル
 薄利での大量販売は、小売店を急成長させる要素ながらも、自転車操業というリスクが待っています。ソレはそうですね、大量注文されたら、その資金繰りが大変です。キャッシュがあるから取引先は商品を卸すのです。結果、1994年あたりからステップは赤字経営に陥り、通販購入者に代金前払いさせながら、運転資金にして商品調達する綱渡りの果てに、1996年9月20日に千葉地裁に和議申請し倒産しました。負債総額は70億円でした。日本の経営者は、こうした巨額負債を抱えると、まず落ち込むものですが、寺田由雄さんは心臓には毛が生えているのでしょうか、1998年7月、新規に法人を設立しました。

 ステップの「5つのNO!」は現在でも話題になるときがあります。「説明しない」「展示しない」「交換しない」「解約しない」「無料サービスはしない」がソレです。おやじは愛嬌ある会話をしながら、同様なことをしていましたが、ステップはドライに宣言したから可愛気がありません。寺田由雄さんがステップ倒産後に作った会社は、「常にお客様の立場で考え、お客様の納得頂ける価格とサービスをご提案できるよう、「JustPrice」をテーマにweb通販ショップ、秋葉原の中古PCショップ・アウトレットショップと多角的に展開して参りました」と会社紹介しています。あれれ、アキバにそんな店舗があったっけ。はい、コチラをご覧ください。複数店あります。


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