2011年8月2日火曜日

海は広いな大きいな

東京船舶のマリン事業部のお店
太平洋戦争における日本の敗戦が、その後のアキバを発展させました。もちろん、敗戦年の1945年以前から外神田界隈で事業を営んでいた、廣瀬や山際などもありますが、東京ラジオデパートを見れば理解できるように、大半のアキバのショップの創業は1945年~1946年に集中しています。敗戦後、日本に引き上げた兵たちは、焦土と化した日本を目撃して、今回の東日本大震災で出た“自粛”と無縁の活動に励みました。ヒトは、毎日を、食う・寝る・遊ぶ必要があるのです。電機に強い兵は、東京電機大周辺でラジオ部品の露天商。

アキバの老舗がバタバタと倒れていったのは、1980年代後半から1990年代初期までの、資産バブルの崩壊に起因します。ロケット、サトームセン、ラオックス(現在とは法人主体が異なります)、石丸電気などの当時の経営者は、出店すれば不動産価値が上昇すると信じ込むだけでした。“上昇だけ続行する資産は皆無”という常識が通じない時代だったのです。そんななか、アキバに残存中の老舗は、トンガリ商品専業店と分かります。ははあ、グレーゾーングッズだナ? ご案内したいショップに入店されたヒトはいますかね?

結構人通りがある独自トンガリ点です
東京船舶が発足したのも1945年10月です。当時は「鳴電社製作所」と称して、集魚灯用電球の製造販売に勤しみました。1947年10月にはアキバに移転して、「東京船舶電機株式会社」に社名を変更しました。そう、漁船だろうが客船だろうが、船舶用電気製品はブルーオーシャン事業でした。その後、船舶専用の配電盤・制御盤・整流器・作業用投光器・照明器具・防水型船舶用電路器具などの製作も開始しました。そう画像にある「トーセンマリンは、東京船舶のマリン事業部が1990年に経営を開始したショップなのです。

「トーセンマリン」のWebページは、「もうちょっとなんとかならなかったのぉ」と思えるほど稚拙です。ご覧になれば、小生だけが感じる感想ではないと同意されることでしょう。コレは推察ですが、デザインに凝る必要もないほど、顧客が限定されているのだと思います。亀松ビル2Fのファミレス「ロイヤルホスト」は、トーセンマリンよりも奥まっていても、来店客を何人も見かけます。中央通り沿いの亀松ビル1Fに在りながら、トーセンマリンの来店客を目撃したことはたまにしかありません。

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