2010年9月5日日曜日

ツクモからProject Whiteへ

 ツクモこと九十九電機は、1947年3月11日、末広町で、他のアキバの電器店と同様、ラジオ部品店として創業しました。その後は日本経済の成長とともに業容を拡大させることに成功しています。ツクモがその名を有名にしたのは、1977年にアップルのPCを販売したことでしょう。またオリジナルのメモリー販売やソフト販売にも手を出しました。以後、8ビッドPCからパソコン販売を手がけ、PC発売に女性スタッフ・マイコンガールを雇用するといったユニークな手法も注目されました。女性だけのパソコンショップ『ツクモ7号店』の井上チーフ(お元気ですか?)はテレビ番組で紹介されたりしたものです。
 
 ツクモは有名ブランドPCからマニア向けの周辺機器まで販売し、アキバだけでなく、大須、札幌などにも出店攻勢をかけました。しかし、PCが成熟期を迎えると、PC販売に売上を依存していたショップほど、その経営は苦しくなりました。PCは専門性が高く、商品説明が難解だからと、資本力がありながら手を出さなかった郊外店やカメラ量販店も、DOS/Vマシンからの仕様の統一と値ごろ感の高さを受けて参入開始。上記以外の場所にもPCショップを出店していたツクモの経営状態は、どんどん悪くなっていきます。窮余の策として、2002年から2007年までは石丸電気と業務提携しましたが、石丸はエディオンに、九十九はヤマダにと別々の道を歩みはじめました。
 
 2008年10月30日、ツクモはとうとう民事再生手続開始の申し立てを行いました。この年のシステム販売店協会の会合が1月にあり、ツクモ経営が行き詰っていることを知っていた小生は、出席していた重鎮にこんなことを質しました。「今年はスクラップビルドじゃなくて、スクラップアンドスクラップを急がないとね」。重鎮は苦笑いしながら、その場から去って行きました。民事再生は事実上の倒産を意味します。負債総額が約110億円であった理由は、バブル期における不動産取得と業務拡大のツケが回ってきたことによります。11月21日には、商品在庫を担保にNECリースから融資を受けたのに、それを販売したとして、担保権を実行され商品を借金のカタに引き上げられる事態にもなりました。
 
 こうなっては見も蓋もありません。経営者の能力を疑うコメントがアキバ中から聴こえてきました。そんなツクモに食指を伸ばした企業は数社ありました。2009年1月6日、ツクモはヤマダ電機への事業譲渡を決定する契約を締結します。同年3月10日、ヤマダ電機は新設した子会社Project Whiteにツクモの一切を事業譲渡させました。登記簿によれば、6月9日付で法人は解散しました。ココにツクモのDNAは途絶えたのです。ちなみに、すでにアキバに出店していたヤマダがあるのに、わざわざProject Whiteという企業を設立した理由は? コレについては、まだ継続中のエポックがあるのですが、怖いので書きません。

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