2010年4月20日火曜日

ツクモの転生


 アキバの老舗ツクモの創業は、1947年3月11日。秋葉原とはいっても、末広町近くで開店しました。小生がツクモに出かけた最初は、シャープの8ビットPC、MZ-2000の増設RAMを購入するためでした。PC黎明期、同店は電気大の学生たちが開発したソフトを購入して販売するソフトメーカーの役割も果たしていました。
 
 ツクモは漢字で九十九と書きます。次の百を完全とするなら、それを目指すという意味があるとウィキペディアに記載していますが、九州には九十九島という場所があります。お店の数をいっぱい増やしたいという願望も入っていたのではないかと推察しています。実際、その後、複数のお店を開店させ続けました。
 
 90年代のツクモはアキバのPC専門店として確固たる立場を確保していました。マニア向けの周辺機器ならツクモに行けば売っているという次第です。リアル店舗は、アキバ、札幌、名古屋にあり、女性店員を重用したお店としても有名でした。写真の場所も、以前はツクモが入っていました。外観は変わっていません。
 
 ツクモの凋落が見えてきたのは、2002年から2007年まで石丸電気と提携したあたりからです。没落を予兆させる老舗の提携では、消費不況から脱することはできません。ツクモは中央通りに黒いビルを建てたり、新奇性を狙ったショップを開店させたりしましたが、ソレが資金繰りを悪くさせてしまいました。
 
 民事再生手続開始の申し立てを行ったのが、2008年10月30日。事実上の倒産で、負債総額は約110億円でした。原因はバブル期の不動産取得や業務拡大に伴う借入金とのことですが、消費不況は同時期に他の老舗をも市場から退出させています。同年11月5日、民事再生手続の開始が決定されました。
 
 ツクモが発行していたフリーペーパー「99マガジン」に原稿を書いていた関係で、当時の経営陣の方とも顔見知りになりましたが、合うほどに元気がなくなっていったことを思い出します。在庫商品を担保にNEC関連のファイナンス会社から借金をしながら、商品を販売したことが報道されたときには、万事休すでした。
 
 2009年1月6日、ツクモはヤマダ電機への事業譲渡で基本合意し、同年3月10日、ヤマダ電機新設の子会社Project Whiteに経営支配されました。登記簿によれば同年6月9日付でツクモは解散、2010年4月現在清算手続中です。アキバにおけるヤマダの位置づけを高める役目をしたともいえそうです。

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