2007年8月7日火曜日

渋谷もまだまだカキコが続きそう

渋谷ではずいぶん遊びました。遊ぶというと不良的な空気を感じるかも知れませんが、はたして小生はどうだったのでしょう?道玄坂を上がったところにあったヤマハではプラチナ製のフルートに憧れを感じました。ヒノテル、ナベサダのプレミア楽器から感激をいただきました。そんなヤマハの斜め前に「百軒店」がおいでと手を振っていました。

ヤマハでフルートの楽譜を購入してから百軒店にはじめて行きました。ラーメンの「喜楽」、カレーライスの「ムルギー」、ジャズ喫茶の「スウィング」などに入り浸っていました。スウィングの髪の長いウェイトレスに憧れたものです。店内に置かれた大学ノートに「I Love Swing and You!」と、シャイな文言をボールペンで書いたものです。

渋谷は魅力に満ちた街でした。映画を観る、女性を鑑賞する、混沌とした刺激を味わう、適切な場所がありました。高校生の自分は加藤和彦さんのファンクラブ誌の編集を任されました。原稿を書き終え、渋谷から歩き、青学大近くの路地を入ったところにあった小さな印刷所に会報誌の印刷を依頼をお願いしました。帰りは表参道から原宿に出ました。

東京タワー下の芝公園スタジオに最初に出かけたのも、加藤和彦FCの「クラブジョン」の絡みでした。吉田拓郎のデビュー曲をスタジオで聴き、渋谷に戻れば松山千春が「ヘッドパワー」でCDを客席まで売りに来ていた時代です。恵比寿に住んでいた明大生が一緒のときが多かったですね。百軒店の居酒屋で酒代の代わりに腕時計を置いてきた豪傑でした。

Morikiyo.J.Fox さんからコメントを頂戴しました。「初めて書き込みをさせていただきます。渋谷のヤマハは音楽創りをする僕にとって、至福の空間です。機材が豊富で、いつもお金がないことを悔しく思って店を出ます。」とか。小生も同様な思いを何度もしております。白金製のフルートなんて自動車の値段でした。「渋谷というと、僕がエンタテインメントを創って人を感動させたいと思う引き金となったゲームを思い出します。それは、チュンソフトの実写ゲーム『街』です。スクランブル交差点を行き来する人々の想いを交錯させたとても素晴らしいお話でした。ゲームの中の光景ですが、病床の父が絶縁した息子のために打ち上げた花火が渋谷の夜にきらめく光景は、10年経った今でも印象的です。」は納得です。このゲームは大人の鑑賞にたえられますね。「かまいたちの夜」もそうでしたが、ゲームと小説の混交という成果は大きいと思います。

高校時代、百軒店に迷いこみ色とりどりのネオンに肩身が狭い思いをしました。」には苦笑いしました。実は小生も最初のうち、同じような感覚を味わったのです。いまはキレイになった「喜楽」というラーメン屋が、まだボロっちい時代、ジャズ喫茶での疲れを同店の2階で癒してました。先日、食べに出かけたら、若い頃のは美味に感じたものを妙に辛く感じました。世代とともに「面白い」「美味い」「楽しい」のゲージは変化するのでしょうね。


1 件のコメント:

Morikiyo.J.Fox さんのコメント...

初めて書き込みをさせていただきます。
渋谷のヤマハは音楽創りをする僕にとって、至福の空間です。機材が豊富で、いつもお金がないことを悔しく思って店を出ます。

渋谷というと、僕がエンタテインメントを創って人を感動させたいと思う引き金となったゲームを思い出します。それは、チュンソフトの実写ゲーム『街』です。
スクランブル交差点を行き来する人々の想いを交錯させたとても素晴らしいお話でした。
ゲームの中の光景ですが、病床の父が絶縁した息子のために打ち上げた花火が渋谷の夜にきらめく光景は、10年経った今でも印象的です。

高校時代、百軒店に迷いこみ色とりどりのネオンに肩身が狭い思いをしました。